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bloc: あおみかん

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秋季特別展「学び舎の乃木希典」

展覧会 2018/9/13(木)
→2018/12/1(土)
秋季特別展「学び舎の乃木希典」
関東【学習院大学史料館展示室〈北2号館1階〉】
open 10:00 / close 17:00
〔閉 室 日〕日曜、祝日、10/19(金)・20(土)、11/1(木)・5(月)
〔特別開室日〕11/3(土・祝)、4(日)、23(金・祝)
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今年は、明治という時代が始まってから150年。明治10年(1877)、華族子女のための学校として神田錦町に創立した学習院が、明治41年(1908)に現在の目白校地に移転してからは110年となりました。
 明治40年(1907)学習院の第10代院長に就任した乃木希典は、当時、日露戦争で旅順攻略を指揮した陸軍大将として、多くの人々から敬慕される存在でした。明治天皇からの深い信頼を背景に院長となった乃木は、迪宮裕仁親王(後の昭和天皇)をはじめ、皇族・華族の子弟らの教育に尽力してゆきます。  乃木の教育方針は、人格形成を重視したもので、在任中にはさまざまな場面で学生へ向けて訓示を与えています。目白校地において中・高等科に全寮制が採用されてからは、乃木は寄宿舎に起居して学生と生活をともにし、自ら範を示して指導にあたりました。その質実剛健を旨とした教育は“乃木式”ともいわれ、長く学習院の教育方針とされました。厳格ながらも学生から慕われた乃木院長のエピソードはが、数多く残されています。
 大正元年(1912)9月13日、明治天皇の大喪当日に、乃木は自刃しました。この「殉死」は社会に大きな衝撃を与え、明治の終わりを象徴する出来事のひとつとして記憶されました。院長を喪った学習院では、学生・職員によって通夜・追悼会が営まれました。
 この展覧会では、学習院長乃木希典が、学習院で使用した品や、在任中に皇室から下賜された品、旧蔵の書籍、直筆の書などを、当時の写真や豊富なエピソードとともにご紹介します。軍人としてだけではない、学び舎の乃木希典の姿をご覧ください。
add: 2018-11-08 / mod: 2018-11-08

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  • データID: 1541683160
  • データ登録日:2018-11-08 22:19:20
  • データ修正日:2018-11-08 22:19:51
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